お知らせ

高校

高3アカデミックリテラシーで明学大の先生による講義「教養原論」を行いました<第10回>

12月3日(金)5・6時間目、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で、明治学院大学国際学部国際学科教授の助川哲也先生が対面で「教養原論」の講義をしてくださいました。

「教養原論」全体の講義テーマ「『他者』と向き合う」を元に、「ハンセン病問題と、私たちが生きることの意味の多義性について」と題して講義が行われました。生徒たちは、著書『あん』やハンセン病のことについてなどの話を聞きました。生きることそのものも考えるきっかけになったようです。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 今回の授業で私はハンセン病について詳しく学んだ。今まで病名は聞いたことはあっても、その詳しい症状やハンセン病の患者の方々がどのような扱いを受けたかなどは知らなかった。ハンセン病患者に対する非人道的な扱いが近年まで行われていたと思うと、恐ろしさを感じる。今回の学びは一度限りの知識ではなく、生涯忘れずに心に留めておきたい。
  • 生きる意味が改めて分かりました。長い人生の中で、苦しくて生きる意味を見失ってしまうような時に、今日の講義を思い出して生きていきたいです。自分があって世界がある、という言葉がすごく心に刺さりました。人それぞれ見える世界が違っていて、それと同時に、自分の見える世界も自分だけが見ることが出来るとは、とても感慨深いなと思いました。自分だけしか見ることの出来ない世界を、これからも作り続けて行きたいなと感じました。
  • ハンセン病のことは、中学の授業や、映画「あん」を見たこともあり、ある程度は知っているつもりだった。しかし、今回の講義で学んだハンセン病患者に対する差別は知らなかったものも多く、まだまだ知識が足りないと感じた。回り道もいつかは役に立つ時がくるというお話がとても印象に残っている。迷ったり、思うようにいかず大変だと感じたりした時はこの授業を思い出し、前向きに頑張ろうと思った。
  • 助川先生がベルリンの壁崩壊のニュースを聞いてラジオ局の即席特派員になったことや、地雷で足をなくした人の心を歌うためにバンドを結成したことを聞き、その行動力に驚いた。私は何かに挑戦してみたいと思ったり、目標を持ったりしても自分にはできないだろうと決めつけてすぐに諦めてしまうため、行動力を見習おうと思った。最初は、差別問題はタブーだから出版しないと言われた作品が、今は世界中の人の心を動かす作品になったと聞き、諦めないことの大切さを感じた。いつか私も自分の文章を多くの人に読んでもらいたいと思っているので、今日の講義で聞いたことを忘れずにいようと思う。
  • 様々な人生経験の話はとても面白かった。ハンセン病の方がひどい差別を受け、社会全体から排除された話は残酷に感じた。映画「あん」の主人公を演じた樹木希林さんの演技はまるで本当の苦しみを体験したかのような感じがして、とても感動した。
  • 「人が違えば、モノの見方も異なる。みんなが生まれたときにその世界が生まれ、死ぬときに一緒に無くなる」と聞いて、私の生きている意味を深く考えさせられました。今まで自分の生きている意味や理由を考えたことはなかったけど、無意味だからって、社会の役に立たないからって意味のない人間なんていないと改めて思いました。私は私で、人は人。私は誰かのためにいるのではなく、自分のために存在します。
  • ハンセン病に関わらず、様々な場面で昔から差別があり、今は昔よりは減っているもののまだ完全に差別が無くなったわけではない。その事を皆がしっかりと理解し、考えることがこれからの社会にとって大切だと改めて感じた。私も人々を笑顔にさせ、助けられる存在でいたいと強く思った。その為には、普段の生活から心がけていきたい。
  • 他者と向き合うことで、根源的に生きることには意味があると今回の講義で学んだ。生きている中で孤独を感じることはたくさんあるけど、生命は複数の中に存在し、さまざまな関係性の中で私も他者も生きていると分かった。私たちと他者、私たちと世界、は不可分だからこそ、人権侵害や差別はあってはならないと理解した。そして、そのことで苦しんだ人が何人もいるということを私たちは知る必要があるし、忘れてはならないと感じた。
  • 世界で活躍している方の話を聞くことが出来て良い機会になった。『あん』を書くまでにも様々な経験をされていて、途中挫折することがあっても些細なことをきっかけにハンセン病に向き合う姿が印象に残った。その中でも直接施設に赴き、患者さんの話を聞き、資料館では知ることが出来ないことを自分の足で調べる行動力に感銘を受けた。
  • 自分の生きる意味を改めて考えてみたが、納得がいく答えは自分でも見つけられなかった。人の人生はいつ終わるのかは分からない。だからこそ今、生きていることに感謝し、一日一日を大切にしようと思った。そしてそれがいつか自分の生きている意味に繋がるかも知れないと感じている。社会に貢献するだけが生きる意味ではなく、自分が見て感じたことすべてが、自分が生きた価値であり、証だと思う。
  • 確かに、自分のことをすごいと思い、誰かに自分を評価されたいと誰しも思っている。しかし、この世界には病気で寝たきりな人や生活に苦しんでいる人がいる。そのような人達に「社会の役に立たなければ生きる意味がない」との言葉を投げかけることはあまりにも辛辣なことである。私は、今生きている人が、自分は生きていて良いと思えるような人生を送って欲しいと思った。そして私自身の生きる意味を模索していきたいと感じた。
  • 講義ではハンセン病を主に扱っていたが、コロナが流行している現代でも生きづらいと感じてしまう人は存在してしまうのだと思った。ネットでコロナ感染後にあることないこと書かれ、感染者も生きづらい世の中であっただろう。それでも他人を認めて、共に生きていることが大切なのだと思った。
  • 特にやりたいと思ったことは絶対に実現しようとする行動力から、小説からテレビ番組や音楽まで幅広く活躍するための発想力まで、多くの良い新鮮な刺激を受ける貴重な機会だった。ハンセン病の療養施設の事実には胸の痛む部分が多かったが、私たちがそのような扱いを受けてきた人がいるということを現実として認識する必要性を大きく感じた。