高校
高3アカデミックリテラシーで明学大の先生による講義「教養原論」を行いました<第9回>
11月26日(金)5・6時間目、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で、明治学院大学法学部政治学科教授の葛谷彩先生が対面で「教養原論」の講義をしてくださいました。
「教養原論」全体の講義テーマ「『他者』と向き合う」を元に、『他者としての戦争―日本人にとっての「正しい戦争」とは何か』と題して講義が行われました。生徒たちは国際政治と、その中でも近年の戦争の事例について話を聞きました。戦争との向き合い方を考えるきっかけになったようです。
生徒の意見・感想を紹介します。
- 正しい戦争とは、当事者になって考えることで正しいこと、不正なことが見えてくることなのだとわかりました。戦争は無くならなくてはならないと思っていたので、今回の題に少し疑問を抱いていました。しかし、講義を聞き、正しい戦争を考えることで、戦争のない平和な世の中へと変わっていくことが出来るのだと思いました。戦争だけでなく、様々なことにおいても、当事者になって考えることが大切なのだと感じました。
- 私は自分が絶対平和主義者だとは思わないが、人を傷つけて解決するものはないから、正しい戦争は存在しないと思う。結局、戦争は自己満足であるため、お互いがいい結果になることはない。そもそも日本は戦争するための装備が出来ているとは言えない状況だと思うので、敢えて、集団的自衛権のように自分から戦地に入る必要はないと考えた。人間同士であっても、他人の喧嘩に止める権利もない人が口を挟んでいい結果になることは経験上あまりない。勝てない喧嘩を売るのも買うのも自分の責任なので、その責任は自分自身でしか取れないと思う。
- 「正しい戦争」について考えることは、戦争の原因や平和の実現への道のりを探求することだと学んだ。そして戦争否定論は、「正しい戦争」について考える必要がない議論だと知った。私は、戦争に対して否定的な考えを持つことが平和に繋がると思っていたため、ただ戦争を否定するだけでは平和の実現に近づけないと知り驚いた。戦争に対して否定的な考えを持つだけで終わらせることなく、頭を使い戦争が起きる原因を探ることが大切だと考えた。
- 私は今まで、戦争に正しいものなんて当然存在しないと考えていたし、それを疑うこともなかった。そして同時に、日本はここ70年以上戦争を行っておらず、関わっていないと信じていた。けれども今日の講義で、直接的ではなくとも日本も戦争に関わっていたことを知った。戦争に正しさは存在しないという意見は変わらない。政治的であろうが軍事的であろうが、人々を犠牲にし、その周りの人を悲しませる戦争に正当性はないと確信した。
- 戦争について、授業などで学び考えることはあるが、普段考えることは少ない。しかし今回「正しい戦争」論を学んだことで、「正しい戦争」について道筋を立て、探求することが私にも出来るという新たな発見があった。学ぶべきことをしっかりと学び、様々な角度から探究し、自分の理想の考えに近づけるように精一杯努力することが大切なのではないかと感じた。
- 戦争にも様々な歴史があり、多くの考え方があるのだと思った。戦争は悪いイメージしかないが、その中でも正しい戦争は存在するのかを深く考えさせられた。私は、戦争はすべて間違ったことだと考えている。しかし、もし正しい戦争の在り方を見つけることが出来るのであれば、これからの政治や外交関係に繋がっていくかもしれないと思った。
- 戦争は多くの犠牲者を出し、誰も幸せになる事ができないと歴史を通して学んだ。これまで戦争をする事は悪であると言う固定概念に囚われていた為、正しい戦争があると聞きとても印象に残った。そして「正しい戦争」論はヨーロッパの歴史と共に発展してきた考え方で、戦争の存在を前提として戦争の正しい事と悪い事を考察し、コントロールする事であると分かった。私は講義を通して固定概念に囚われず、一つの物事について善悪を考察して新しい考えを持つ事の大切さを改めて学んだ。
- 今までは戦争に「正しい」と言えるものがあるのかについて考えたこともなかった。防衛のための戦争は正しいと言えるかもしれないと思った。戦争が悪いことであるという認識が広がったのは、戦争によって甚大な被害が出るようになった第一次世界大戦以降だということを知って驚いた。しかし、技術の発展による武器の強化や、民間人も戦争に勝つために働いて攻撃に巻き込まれたりするようになったことを考えると納得できた。
- 戦争が領土獲得や政治的決定の手段として採用されてきたことを再認識し、戦争を絶対反対することは安易すぎるかもしれないと考えるようになった。とはいえ、制限のない攻撃や民間人を大規模に巻き込み、多大な犠牲者を生む戦争を簡単には正当化したくない。絶対にあってはならないものと考えてきた戦争に対して「正しい戦争」もある可能性を考察し、戦争という存在に新たな捉え方ができるようになった。
- 私たちがどのように戦争と向き合わなければならないのかを考える良い機会だった。日本は比較的、平和主義を唱えているが、自国になにか起これば自己防衛のために戦争を起こす可能性は高い。そのため、利己的になるのではなく相手のことを尊重できるような関係を築いていくことが重要になる。また、過去の悲惨な出来事を私たちは決して忘れてはいけない。平和な世界を守るために、戦争について私たちは分析し、追求するべきだと感じた。
- 私は戦争というものは存在自体が悪であると考えていたから、正戦論という考え方があることにとても驚いた。しかし、集団的自衛権や安全保障条約など自衛目的のものも正戦論に含まれると知り、一概に戦争や、正戦論を否定することもできないと感じた。憲法上の理由で直接戦争に関われないからこその、間接的な戦争参加の可能性が日本にはある。関わっていないとしても、戦争の当事者となり得る可能性がある限り、私たち、そして日本は正戦論を追究する必要があると思った。
- 私は正しい戦争は本来存在すべきでないと考える。なぜなら、いくら集団的自衛だからといって戦ってしまったら、それが大きな戦争の火種となってしまうからだ。また同時に、目的だけが達成されたら終わる制限戦争もなるべくすべきではないと考える。結局、戦争をしていればいつ第一次世界大戦のように総力戦になるかわからないからだ。国同士が対話で問題が解決するならばそれが一番だと思った。
- 安全であることが普通になっている日本に住んでいる私たちにとって、「戦争」という存在がとても遠いものになっていた。今でも紛争が続いている国がある中、私たちはその紛争に加担しないように知識をつけていかなければならない。戦争否定論や賛成論など戦争に対して色々考えがあるが、自分の意見をしっかり持たなければいけないと思った。