お知らせ

高校

高3アカデミックリテラシーで明学大の先生による講義「教養原論」を行いました<第8回>

11月20日(金)5・6時間目、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で明治学院大学法学部消費情報環境法学科主任の大野武教授が「教養原論」の講義をしてくださいました。

「教養原論」全体の講義テーマ「『他者』と向き合う」を元に、「「他者」に対するネット中傷と法的救済」と題して講義が行われました。生徒たちは、インターネットの光と影についてどう考えるかを学びました。生徒たちは身近なネット投稿の影響について考えたようです。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 今回はインターネット上の様々な問題に関する法律や権利について学んだ。より身近な問題として、SNSで起こる事件について考えた。事例がどのような判決になるのかという問題は少し難しかったが、今まで知らなかった法の仕組みを理解することが出来た。また、名前を検索すると過去の犯罪についての情報が出てきてしまい生活に支障が出るという点で「忘れられる権利」を主張した、という事例はとても興味深かった。
  • 私たちは大きくて高度化した複雑な社会の中で生きていて、個人の単なる経験則や感情(=道徳)だけで通用するのはごく限られた狭い範囲においてだけである。インターネットを使う上で問題が出てくるが、解決するには多くの知識が必要。訴えや裁判は、時と場合に応じて相手に非がある時でも、自分の責任の欠如とされることもある。将来社会で活躍するために普遍的な知識の習得が不可欠だから、自分の学びを深めていくべきで、学び続けることが大切だとわかった。
  • 改めてインターネットの怖さを知った。SNSは簡単に発信できるため、衝動的に相手を誹謗中傷するような書き込みをしたり、無責任な動画を流したりすれば、それを全て削除することは情報の残存性によりできない。また、犯罪行為に関する投稿は、本人の名誉やプライバシーよりも知る権利の方が優先されるため、一度投稿してしまったら一生消えることはないということを理解してSNSを利用することが大事だと分かった。こうしたSNS上の問題に対応するために、利用規約にはいろいろと書いてあることを知った。
  • 薄い関係をおろそかにすると、深い関係も私たちの生活も成り立たない。法律学は繰り返しの学習が必要だと感じた。また、損害賠償の請求はもう少し手数を減らしてもいいのではと思った。ただ、現行の制度であっても自分が被害者になったら、加害者(相手)に対して裁判を起こすだろう。インターネット上の情報削除は難しそうなので、安易に批判を書き込まないよう、自分に厳しくありたい。
  • 最近ではインターネット中傷による芸能人の自殺などが話題となっていたが、改めてインターネットの影の部分を知り、便利だけれども同時にとても怖いと思った。このような問題を解決するには、ネットリテラシーを含む道徳教育をより積極的に学ぶことが有効である。また、肖像権や著作権の侵害、名誉毀損による不法行為などの加害者に対する損害賠償などが法的に決められている。法的措置の重要性や、法律とは個々の人間を抽象的な「人」として扱っているため、それぞれの「感情」は思考の対象外になっていることを学んだ。インターネットを使う場合だけでなく、どのような法律によって私たちの生活が守られているのかについても興味を持った。
  • ネットに誹謗中傷を載せる人は、自分が正当なことを言っていると思い込んでいる。
  • 今は昔と比べ、多くの人が情報通信機器を持っている。その分、ネット中傷もどんどん増えてきている。スマートフォンやタブレット、パソコンなどはネットを使い、容易にものごとを調べられたり、連絡を取り合えたりするなど、良い点がたくさんある。しかし、匿名で発信できたり、自分の情報が世界に伝わってしまったりするなど悪い点も多々ある。悪い点が、誹謗中傷をする人にとっては良い点になってしまっている。誹謗中傷により多くの人が傷ついているのが現状だ。これから先、ネット中傷がなくなるといいと思う。
  • 現代社会はインターネットの進歩と共に高度化、複雑化が進んでいるため、個人的な経験則や感情だけでは法以外においても通用しないのだとわかった。将来私たちが目標を持って活躍したい時、学ぼうとしている学問だけに限らず、関係する様々な知識を得る必要があると改めて認識することが出来た。
  • SNSの怖さを改めて感じた。現在、数多くの問題が生じており、他人事ではないこと、今もなお悩んでいる人がいることを忘れてはいけないと思った。インターネットに情報を上げたら、いくら自分が削除しても削除しきれないことがとても恐ろしいと感じた。また、双方向性であり、誰もが加害者になる可能性があるため、SNSやインターネットとの向き合い方をしっかり考えなければいけないことを実感した。