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明学大の先生による高3生への講義「教養原論」が始まりました<第1回>

9月20日(金)より、高校3年生 推薦進学コースの生徒に対し、明治学院大学の講義「教養原論」が始まりました。
今年度の「教養原論」の講義テーマは、「『他者』と向き合う」です。
第1回は、明治学院大学 教養教育センターの鈴木陽子先生による講義全体についてのオリエンテーションでした。
まず、この講義の学び方を確認し、大学の学習管理システムを実際に使ってみました。それから、「教養がある」とはどういうことか自分で考え、続けてまわりの人と意見交換をしました。また、ことばに意識を向けることや、言語による違いについても考えました。初めての大学の講義を、緊張しながら受講したようです。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 言語学の観点から見える若干の違いが他者に影響を与えるという話も面白いと思った。少し学ぶための遠回りをすることで色んな観点から学を得たい、教養をつけたいと思った。
  • 教養は、道徳的でモラルがあり、他者と生きる自覚、人として良くあろうとする心が大切だと言うことが分かった。普段、無駄な知識は使わないしいらないと思っていたけれど、知識との出会いを大切に深く知りたい。幅広い知識を持てば、物事によって違うこと、重要なことなど、見方が変わることが分かった。これからも自分の力でさまざまな見方をしたい。
  • 言語によってそれぞれ切り取られる部分が違うというところが興味深かった。教養がある人について問われた時、私は知識がある人や語彙力がある人だと考えたが、そうではなく自分の価値基準だけでなく相対化することができる人だとわかった。教養があることで人生をより豊かに、楽しくなるとわかり、私も教養を深めたいと考えた。
  • 教養がある人は、ネットワークの様に新しい知識を常に入れ学び続ける人、自分の好みや基準を超えて相手の意見を受け入れられる相対化のできる人のことをいうとわかった。
  • 日本語と外国語で、同じ事柄を示していても伝わり方が違ったり、同じ事柄でも言語の種類によって認識が違ったりして、興味深かった。
  • 初めて大学の形式の授業を受けて、高校とは違う緊張感があった。自分から進んで触れることのない教養について学べて、これから社会人に向けて更なる成長ができるなと感じた。周りの人と意見を交換して自分の意見を深めていくことができて楽しかった。
  • 教養とは、自分自身に学びを与えるものであり、私たちが社会の一員であることを自覚して、余裕のある人になる必要があると感じた。無駄な勉強だと思ってしまうこともあるけれど、出会いを大切にしたい。
  • 言語学は言語を科学的に研究し、プロセスや仮定を立てて考えていくものでした。実際にコーパスの一つであるCOCAを使って単語の違いを学ぶことができて、言語はとても奥が深いなと思いました。
  • 教養の定義が「他者」と繋がり、そこから言語学に繋がっていくことが面白かった。
  • まずは自分の考えを待ってから、グループワークなどで意見を共有することの楽しさを知ることができた。これからもグループワークで積極的に発言し、相対化した判断ができるようになりたいと思った。
  • 教養について自分自身でしっかり考えた上で、答えやさまざまな考えを見つけることができた。将来どのような仕事や問題に向き合っているかわからないため、今の時点で無駄かどうかを考えることは不可能だと感じた。ただの物知りではなく、自分の意見をベースにして周りに視点を向け、周りの意見を含めて新しい意見を持つことができる人はとても尊敬できると感じた。
  • 一見学ぶ意味がないと思えることでも、学んでみることで人生が豊かになるという言葉にはっとさせられた。
  • 言語により表現の範囲が違い、私たちが当たり前と思っていることが世界的に見たら、日本独特の表現であることに驚きました。また、類義語でも後に続く単語で使い分けがされていて、言語の面白さに気付きました。使い道のないと思う事柄でも映画や音楽を楽しむためにも知識が必要になるなど、あらゆる面でメリットになると知りました。
  • 無駄を省こうと考えるとかえって学び損ねるという言葉に感銘を受けた。それぞれの言語には違いがあり、違いを学ぶ事はとても楽しくて、使われている国の特徴も学べるのでより興味が深まった。