高校
高3アカデミックリテラシーで明学大の先生による講義「教養原論」を行いました<第6回>
10月29日(金)5・6時間目、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で明治学院大学社会学部社会福祉学科の高倉誠一先生が対面で「教養原論」の講義をしてくださいました。
「教養原論」全体の講義テーマ「『他者』と向き合う」を元に、「『障害』とは。どう考えるか。」と題して講義が行われました。生徒たちは障害の概念、特別支援教育の現状、「発達障害」について、国によるとらえ方の違いなどの話を聞きました。「障害」を身近に考えるきっかけになったようです。
生徒の意見・感想を紹介します。
- 障害は社会との関係の中で起きるため、本人が力を発揮できるように周りの状況を整える必要がある。歳を重ねていけば誰でも機能障害を抱えるようになる。自分たちがおばあちゃん、おじいちゃんになった時になるべく不自由を感じずに生活できるように社会をどうしていけばいいか、他人事ではなく自分のこととして今から考えたい。
- 小学生の時に、障がいを持っている友達がいたのにも関わらず、その障がいに関しての知識が足りないことから支えることができなかった。これから障がいを持っている人と出会ったら、過ごしやすいように支えられる人になりたい。
- 障害という概念はその国々や文化、環境によって違うため、自分から見たら障害だと感じることが違った方面から見ると普通だと思われることもあるのだと思った。確かに自分に大きな障害がなければ障害について知ろうとはしないかもしれないが、障害で苦しんでいる周りの人たちのためにも障害について深く学び、配慮に繋げたい。
- 障害があることは特別なことではなく、誰にでもそのような特性があると聞いたとき、最初は驚きましたが、話を聞くうちに納得できました。実際に、ADHDや自閉症スペクトラム障害のチェックシートの項目を見ていると、自分にも少し当てはまると思うものがいくつかありました。今までは障害とは無縁だと考えていましたが、今回の講義を経て、障害をより身近なものとして捉える必要があると感じました。
- 日本は障害者と健常者という区別がはっきりしていて、人と違うことをすごく気にするから、ハンディーキャップの捉え方が他国と比べてかなり狭いと知り納得だった。その点において、障害に対して人と違うという感覚があまりない他国の捉え方は素晴らしいと思いつつ、少し不思議な感覚でもあった。正直、日本では障害に馴染みがないのが現状だと私は感じる。障害は特別なものでもなく、誰もが持っている特性であり、身近なものなのだという意識が必要だと感じた。
- 「障害」と聞くと、偏見はなくても、不幸なもので、同情のような気持ちがあり、どこか遠い存在だと感じていました。しかし、障害は決して不幸なことではなくて、ひとつの個性なのだとわかりました。世の中には、「普通」などなく、人の数だけ個性があって、全員が同じということもないのです。一人一人の個性があるから世の中が輝いて見えると思いました。これからは、障害を身近に感じ、相手や自分の個性を大切にして生きていきたいです。
- 障害と聞くと自分には関係ないような気がするけれど、誰にでも身近なことであると初めて感じた。各国で障害の基準が違うので、日本では障害を持つ人々を特別視しがちだが、海外では当たり前のように受け入れられていることに価値観の違いを感じた。親の偏見は子供にとても強いストレスを感じさせることがあると知り、誰にでも障害は起こり得ることを知って欲しいと思う。
- 今日の講義を聞いて、SNSで見かけた「“不幸“という言葉は、“幸せ“という言葉、概念があるから」を思い出した。理想は、「障がい者」「健常者」の言葉の区別なんてないことだろう。しかし、現代の日本ではそれは難しいことだと思うから、“障がい者“という認識を広げることが必要だと思う。
- 年老いて身体の機能が低下したらそれはもう障がいだという事を知った時は驚いた。これから社会を担う者として、障がいがある方々を特別扱いするのではなく、平等な立場で日々の生活を送ることができる環境を実現していきたいと思った。そのためにも障がいについての知識を蓄えることが最優先で、これから積極的に知識を取り入れていきたい。
- ADHDについての動画が印象に残った。ADHDの子どもは周りの子と仲良くなりたいのに、上手くまわりと接することができず、子どもがADHDとは知らない親は子どもを叱ってしまう。私たちがADHDを理解していればこのような事態を避けることは出来る。これは他の障がいにも言えることだと考える。私たちが社会全体で、障がいについてより関心をもつべきであると感じた。
- 現在、ハンディキャップなどがある様々な人が、平等に生活する事ができる多様化を目指して歩んでいる。障害を持っていることが珍しくはなく、恥ずかしいことではないという認識に変えていけば、世界の多様化に適応する事ができる。概念を少しずつでも変えていけたらと思う。
- 障害は何となく遠い存在という感覚が無意識にあった。しかし、メガネやコンタクト等をしている人の視力の低下も機能障害のひとつだという説明を受けて、障害の身近さを実感した。私たちはもっと他人事としない障害との接し方について考えていく必要がある。また昔は、障害があるのはその人が悪いという考え方が強かったというのを聞いてとても驚いた。現在は障害をサポートしていこうとする動きが多いと聞いて安心した。私にも何か出来ることを探したい。
- 障害についての考えを詳しく学ぶことができた。障害という言葉はとても曖昧で、人や国の考え方によっても障害の基準が変わってしまう。そのため、障害者の割合が少ない国は障害に対して考え方が甘いことが予想される。このことはその国の印象が下がってしまう反面、障害に対する考えを改めることで、より障害者に対して支援などを行うことができる。日本は障害に対して厳しい見方する人は多いため、これから考え方が変わっていけば良いと思った。
- 知り合いの色弱の人は、車を運転する際、信号の色は何となくしか分からないので点灯している位置で判断すると言っていました。外からは分からない障がいについてもお話を聞けたら良かったなと思います。
- 発達障害の子供は年齢を重ねても、子供っぽい行動が起きてしまうそうだ。世間の理解が高まっていることもあり、こうした障害は近年増加傾向である。理解が広まることによって、今まで放置されていた子供たちが診断を受けて、自分らしく生きやすくなったということだろう。
- 日本は障害に対して良くないものという認識が強いと感じていたので、誰にでも起こりうるという外国の考え方は根本的なところから違うと感じた。人の障害に対する認識は時代と共に変化していて、今はその過程だと思った。興味を惹かれたのは、子供の鏡文字は、本当にそのように見えていて書いているということだ。間違えて書いている訳ではなく認識から違うことを不思議に思った。障害についてこのように深く考えたことは無かったので、とても良い機会だった。