高校
高3アカデミックリテラシーで「教養原論」を行いました〈第6回〉
11月10日(金)、高校3年生推薦進学コースの授業「アカデミックリテラシー」で、明治学院大学社会学部社会福祉学科の和気康太先生が「教養原論」の講義をしてくださいました。
水俣病を一つの手がかりとして立場の違いから地域が分断されていく過程を知り、心を痛めました。またフィールドワークの大切さ、関心を持ち続けることの重要性を学びました。
生徒の意見・感想を紹介します。
- 水俣病についての印象がとても残っている。工場から排出された排水により何万人もの人が病にかかり水俣病から約60年経った今でも苦しんでいることに驚いた。病気を訴える人たちのためになぜ国や県が対応しないのか疑問に思ったが、排水を禁止すると経済の著しい後退をしてしまうからであった。地域と市民との関係は繋がっているなと思った。
- 66年前の出来事が今続いているという事実に驚いた。企業は、目先の利益ばかりを見て患者達のことを全く考えない非人道的さに当時の倫理観を疑った。福祉というと、高齢者や障がい者支援など一部のことしかないと考えていたが、広い範囲を学び、社会のことについて知る学問だということに気がついた。またジャンルは違えども、私も大学時代にフィールドワークをし、実態を知ることで現場の声を聞き、視野を広げていきたい。
- 私は姉が保育士なので、毎日のように保育に関する社会福祉については聞く機会があります。けれども、祖母は両方とも元気ですし、地域的にも公害には関係がないので、書面上などではない現実の状況などは知りません。水俣病に関しても、症状や病気のメカニズム、原因などは理解していても、患者などは写真でしか知らず、今回実際に動画を見たときに通常では起こり得ない体の動きに正直肝が冷えました。紙だけではわからないものがあったように、きっと動画だけでは分からないものもあるのだろうと思うと、確かにフィールドワークは必要だと思いました。
- 社会福祉学科は一番他者と向き合うことを学ぶ学科だと思うのでその見解を聞けて良かったと思う。現場を忘れた疫学はダメだと言う言葉に、『踊る大捜査線』の「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きてるんだ」という言葉を思い出して、どの分野にも通ずる考えなのだと思った。水俣病で苦しんでいる人が国からの適切な補償を受けられることを願う。
- 福祉のためには行政のサービスを受けるだけではダメで、将来自分が支えてもらう側になるかもしてないからこそ、受け手であるとともに担い手としても活動していくことが求められるのだと感じた。各部門の専門的な職業に就く人を増やすためにも、その人たちの負担を減らし、やりがいを作る必要があると思う。だからこそ私たちが資格や専門知識がなくてもできる行動を担いたい。また多角的な知識を学びながら、利他的に自分が行える行動を考え続けていきたいと考えさせられた。
- 実際に問題の起きたところにいくことは億劫に思えたり嫌に思われないか心配になったりしますが、フィールドワークは大切で、それによって見えてくるものがあるということがわかりました。終わったことのように思えても、現場を見て語りをきくと今も残る問題だとわかる、というのは本当に実際に行かなければ理解できないと思います。様々な視点で見ることを大切にしたいです。
- 目に見えるニーズだけを対象とせずに、目に見えないニーズを積極的に捉えることが重要になると聞いて、児童相談所や警察が日頃気づくことができない場所で起こっている児童虐待やいじめによる引きこもりなどを重点的に把握することが重要だと思った。また、水俣病では戦争の被爆者などと同様に、国がしっかり対応しなければならないところを怠っているところが改善しなければいけない点だと思いました。
- 今回の講義も大変興味深いものでした。私は特に、最後のメッセージが心に残りました。問題は、大学の研究室で起こっているのではない、だからこそ、現場に直接向かって、座学だけでは学べない学びがそこにはある、ということです。その中で、さまざまな人との出会いを経験し、生きた学問を学ぶことが大切なのだと感じました。